スーパーの入口付近で、おば様が叫んで?いた。
「なんでも高いなあ」
高い、は京都風の発音だった。
だから余計「嫌味」が増していた。
当の本人は、
「言ってやったわ!」
と思っているのだろうけど、
その「発言」に周りがどう思っているのか等
想像もできないほどの鈍感さだ。
「鈍感力」という本を五木寛之さんが書いて
いらっしゃる。
オレも読んだと思う。
詳しい内容は忘れた。
が、ひとこと言わせて頂くと
「敏感力」も書いて頂きたいところだ。
オレはいつも「敏感」であるべきだと
言ってはいるがそうそう「敏感」でいる
こともできないし、確かに疲れる。
でもやっぱり「敏感」じゃないとダメ
だと思っている。
オレがYouTubeの動画で話したように
一番大事なのは「傷つけるより傷つく心」
だと思うからだ。
まあ「空気の読み過ぎ」もどうかとは
思う。
でもまあその「感じる」チカラはやっぱり
大事であって空気を読んでの振る舞いかた
次第だと思うのだ。
結果、この記事のタイトルに行きつく。
「敏感に鈍感」だ。
しっかり感じしっかり傷つきつつ、しかし
まるで鈍感かのように強く生きる。
なかなか難しいことではあるが・・・